私のこと。

 

東京で生まれ、埼玉で育った幼少期

1973年。オイルショックの年。

私は、新潟県柏崎出身の父と、青森県八戸出身の母のもと

東京都練馬区石神井で生まれました。

その後、2歳くらいまで、千葉県市川市で過ごす。

この時、隣の奥さんが、「綿絵」という絵を作る人だったらしく(わたで絵を作る技法)

私はその奥さんの膝の上に乗せてもらって、よく制作してるところをじっーと見ていたらしい。

幼稚園から中学生までは、埼玉県の越谷市で過ごす。

あの頃の越谷は、まだまだ田んぼが多くて

毎日習い事に追われる日々だったけど、暇さえあれば田んぼや用水路で遊んでいた。

カエル、おたまじゃくし、めだか、フナ、ザリガニ、イナゴ、カマキリ・・などなど、

捕まえたらすぐ飼いたいと思ったし、生き物が大好きだった。

越谷で過ごすようになって、

近所の駄菓子屋に迷い込んできた黒い猫を保護することにきめ、飼い始めました。

これが、大好きな猫との、最初の関わりでした。

黒い猫は、とても賢くて、気高くて、色々な話を聞いてくれた。

その黒い猫は、私が高校生の時に、ガンでなくなりました。

病弱風の子供時代

7才の時に、溶連菌によって感染して腎炎になったとかならないとかで

血尿が出ていることがわかり

抗生物質やら、その薬を飲むことで胃が荒れることを防ぐ薬やらを

1回10錠、1日3回なので30錠飲んでいました。

大量の錠剤・・・。

私はだんだん、薬を見るだけで

吐き気がするようになり、こっそり薬を捨てたりしていました。

子供の病気は難しいかもしれないけど

患者の精密検査もせず、1日30錠も薬を飲ませたり、

何度も何度も太い血管注射をしたり、

今、思うと相当なヤブ医者でした。

母は、病状より「将来、子供が産めるカラダなのか?」ということばかり

医者に聞いていたことが記憶に残っています。

ここで私は病気だ、という意識が定着してしまい、

体育は好きじゃなかったので、これを理由に休んだり

新しいことにトライすることが、とても怖くなっていた。

実は、今も血尿は止まっていません。

大人になってから、精密検査したところ

腎臓から出ている血管が生まれつきの奇形で

「ナットクラッカー症候群」で血尿が出てしまう体であることがわかりました。

病気というより、付き合っていくしかないものだったんですね。

校庭で校長先生の長い話を聞いている時に、倒れる人だったんだけど

多分これが関係した、貧血だったんだろうな。

中学生活が終わる頃には、「病院へ行こう」と言われなくなったので

医療費が無料の間だけ、通院したようです。

また、30代に入ってから「橋本病」だということがわかりました。

いつも母から、「ぼーっとしている、元気がない、覇気がない!」と

叱咤されていたのですが、

ぼーっとしていてやる気が内容に見える子供だったのは

甲状腺の病気を、子供のうちに発症していたのかもしれないな、と思います。

精密検査、大事です。

絵を描くことが大好きだった

ぼーっとしているのは、もしかしたら具合が悪かったからかもしれないけれど

ただぼーっとしていることもあれば、空想もしてました。

おとなしい子だと思われていました。

IMG_20160826_0001s
IMG_20160826_0002s

これは27ヶ月の時に描いたものだそう。チラシが古い(笑)

とにかく、紙と描くものがあれば満足していた気がします。

絵だけは習ってはいけない

母が教育熱心だったこともあって、

ピアノ、習字、英語、学習塾・・・と毎日何かしら習い事が入っていました。

ピアノに至っては、3歳から中学生が終わるまで通い続け、

母曰く「あなたがやりたいと言ったから始めた」と言っていましたが

私は全く覚えていない・・・。

ピアノを習い始めた実際の動機は・・・

私が2歳か3歳の頃、母の実家の八戸に滞在中、

母とベビーカーで散歩中、

どういうわけか、私がベビーカーに坂乗りしてしまい、

そのまま転げ落ちて行ったときに、右手の親指に

何針か縫う怪我をしました。

その傷は今でもくっきりと大きく残っていて

その怪我のせいで、指が動かなくなることを心配した母が

ピアノ教室に入れたのではないかと思っています。

その坂で、自分が転げ落ちていくところとか、

手からたくさん血が出たこととか、

その血をふく白い布とか、

その転げ落ちた付近にあった、お店の方が助けてくれたような?

そんな記憶が、今でも断片的に残っています。

けっこう真面目にやったけど、ピアノは全く上達せず・・。

だけど、音楽との出会いがあったことは、とても良かった。

音楽に対しての憧れは、今でもあって

楽器よりもどちらかというと歌うことが好きで

学校の合唱コンクールでは、

ピアノの伴奏を担当してばかりいましたが

本当は、みんなと一緒に歌いたかった。

私は絵を描いたり、工作をすることが好きだったから、絵画教室には行きたかったけど

なぜか父が「絵は、人に習うものではない」と言って通わせてもらえませんでした。

昔はそのことを「お~父は信念のある人なのだなぁ!」など尊敬に近い思いを持っていましたが

自分が子供を持った今は、

・・・いや、やっぱり好きだと思ってることを伸ばしてくれたらよかったのに・・と思います。

IMG_20180713_0001

3歳の発表会

T先生との出会い

小学校5年生の時に出会った担任の「T先生」

あの先生との出会いがなければ、私は今、絵を描いていないと思う。

私は本当に空想ばかりして、授業中もボーーっとしている子だったので、

先生の話を全然聞いていなくて、成績も上がらず(だから厳しい学習塾に入れられた)・・

というなんとも冴えない日々を送っていた。

両親は、絵を描くことより、とにかく勉強ができる方が良いこと、だった。

このT先生が私に「あなたの絵は、他の子とちょっと違うよ」ということを

遠回しに教えてくれたし、絵を描くことを通して、

「自信を持っていい」「得意なことをやってもいい」ということを伝え続けてくれた。

学校に宿題の他に、家庭学習というノートがあったのだけど

そのノートは、本当は授業の予習とか復習を書いて出さないといけないんだけれど

私は勉強が嫌で、そのノートにはずっと「絵と物語」を書き綴っていた。

そんな私をT先生は叱ることもなく、赤ペンで「続きが気になるなあ!」など書いてくれたので

私は調子に乗って勉強ノートの中で空想しまくっていた。

ある時、文集の表紙をクラスのみんなで絵を描いて

多数決でどれにするか選ぶことになった。

T先生は、多数決だと言いながらも、「けいこさんの絵がいいな〜」と言ってくれた。

でも実際、クラスメートで多数決をしたら

ゴリゴリのキャラクターものが選ばれた。

小学生が描いたにはちょっと大人っぽい絵は、みんなには受け入れられなかった。

このとき、多数決は必ずしも良いものを選ばない、ということを身をもって知った(笑)

決まってしまった後も、T先生はとても残念がってくれていて、

それだけで認められた感じがして、私はなんだか満たされた気持ちになった。

T先生ありがとう!お元気かなあ・・・

IMG_20180713_0002

小学生の夏休みは母の実家青森八戸で過ごすことが多かった。八戸三社大祭にも参加。

ファッション系に進みたかったけど・・・

最後は楽しい小学校高学年生活だったけれど

中学に進むと、女の子同士のグループ化される人間関係に悩み、成績に悩み、、の暗黒の毎日だった。

やはり絵を描いたり、綺麗なものを見るのが好きだったので

服飾デザインを勉強したいと思っていて、希望していた専門学校があったのだけど

母に「高校は普通に行ってください」と反対され、推薦で行ける美術系の高校に進学。

ひとくちに「美術」と言っても、デザイン、ファインアート、彫塑の3つのコースに大まかに分かれる。

本当はデザインを希望してたのだけど、人数が多くて入れず

油絵を学ぶことになりました。

それから、いつしか多摩美術大学に憧れるようになりました。

apple

高校生の時に4時間で描いた油絵

つらくてたまらなかった大学時代

美術大学の受験はなかなか大変で、現役では受からず、1年だけ浪人することを親に認めてもらいました。

それも、なかなか認めてもらえなく

親友のお姉ちゃんも美大受験で浪人していたので

友人のお母さんに協力してもらい、母を説得してもらいました。

親としては、女の子は大学に短大くらいで良い、と思っていたようです。古風です。

「お前の頭では、短大ぐらいがせいぜいだろう」

父にも言われていました。

私はそれを、実は経済的な理由であると知らずに

激励だと思って1年頑張り、無事に多摩美術大学に進学。版画を学び始めました。

jinnbutu

コンクールで1番だっだ絵

一人暮らしは絶対認めないと言われていたため

埼玉から八王子まで片道2時間半かけて通う生活は

行きたくて行った大学だったけれど、しんどくてたまらないものとなってしまいました。

そして、ちょうどその頃バブルも崩壊しており、就職氷河期の始まりでした。

家族から逃げる、事故に遭って目が覚める

大好きだった絵を描くこともつらい。

多分母は、早く家庭に入って子供を産み育てることを望んでいる。

私はどうすることが楽しいのか、すっかり忘れてしまっていました。

大学卒業後、私は就職せず、結婚して家庭に入る道を選びました。

しかし、あまりうまく行かなくなってしまって、

もったりとした生活をしていたとき・・・

原付で買い物へ行こうと道路を走っていたら・・・

車に跳ねられました。

普段は、交通量の多い県道の反対車線に、数十メートル飛んで行きました。

脳震盪を起こしていたのでしょう、記憶がない。

前後の記憶が、本当に全くない。

完全に意識を失っていて、病院で目が覚める。

気絶したみたいで、事故のことは全然覚えていないけど

私はこんなところで、何をやっているんだろう?

と、離婚することにしました。

ちょうどその頃、結婚してから飼い始めた、

とても可愛がっていた猫が病死しました。

アルバイトから正社員へ

いったん実家に戻り、心機一転。

一度出てしまった実家は、なんとも居心地の悪いものだった。

やっぱり親が言うように、ちゃんとした(?)仕事につかなければ!と思った私は

事務仕事を募集している建設コンサルタント会社でアルバイトし始めました。

最初は事務仕事、庶務、だんだん慣れてきたら業務補助を始め、

契約社員になって、経理の補助仕事をやりつつ、業務補助もできるようになりました。

美大を出てるんだって?

ということで、上司から看板やチラシを作る仕事も

事務仕事の傍やらせてもらいました。

その時、ホームページの作り方もちょっと学んだりして、しばらく契約社員だったけれど、登用試験を受け、正社員になりました。

ここで、企画、営業、現場の責任者、CSR、環境教育、森林整備、社内報の企画・編集、入札などなど

様々な経験・勉強をさせていただきました。本当に楽しかった。

業務をこなす中で、鳥瞰図を描く仕事が結構あって、その経験は今の絵を描くスタイルに、ものすごく役立ってます。

私は人物を描くことの方が得意で、風景画を描くのが苦手で・・・。

特に緑色を扱うのか苦手だったけど、

鳥瞰図や森林、公園など業務の中で数をこなし描いていくうちに、緑がある風景画が大好きになりました。

20143月、男児出産

サラリーマン時代に知り合った同じ会社の現在の夫と結婚して、

20143月に第1子を出産しました。

子供の保育園がなかなか決まらず、育児休業を延長したり、

なんとか保育園が決まって、復帰したものの

ほとんど一人でする育児と仕事の両立にヘトヘトに。

lento_20140405135834

サラリーマン生活に終止符

一度は戻ったサラリーマン生活ですが、

夫の勤務時間は非常に長く、実家も頼れない。

時短勤務しても仕事と育児の両立は、なかなかしんどい生活でした。

このイライラを、子供にぶつけたくない・・・と思い

サラリーマン生活に終止符、フリーランスに転向しました。

ちょうど、入っていた保育園も、3歳までしかいることができない園だったから

2歳で退園し、息子本人が幼稚園バスにとても憧れていたので

3歳から幼稚園に通うことにさせました。

これからの事

子育てが始まって4年。

どうしても、生活の中心は「子供」のことになる。

でも、私の「中心」も見失いたくない。

現在の気がかりは、東京での育児に手詰まりを感じていること。

公園に行っても、タバコの吸殻だらけだったり

子供の声がうるさい!と怒鳴られたりした。(本当)

休日は、なるべく海や大きな公園に連れて行ったりするけど

このままコンクリートジャングルで、日常的に自然に触れ合う機会がなくていいのか?

とも思うようになり・・・・

我が子が公立に対応できるかどうかという不安も出てきて

義務教育をそのように過ごさせるか、検討中。

夢は・・・

都会と田舎を行ったり来たりする生活。

どこにいても仕事ができるようになること。

ログハウスを作って、ターシャ・デュータみたいな庭を作って、

その庭の中でカフェオレでも飲みながら、好きなだけ絵を描くこと。

願いは、家族が健康で、

それぞれがやりたいことを、尊重しあってやれるようになること。

私の旅は、続きます。

現在、こんな活動をしています。

その1:iPadでお絵描き教室

子育ての経験が、以外にも絵の先生に役立ってます。

自分で言うのもなんですが、この2つが得意です。

目の前の生徒さんの絵の困りごとに注目して良いところはもっと伸ばし、もっと良くなりそうなポイントをご提案させていただく。

その人がもっと生活の中で「絵を描くこと」をできるだけ「ストレスなく」楽しめ、早く上達するようなスタイルをご提案。

お教室もあるので、ぜひお越しください!

あなたのやる気、バンバン引き出しますよ!(笑)

a0022

受講者さんの声はこちら♪

その2:LINEスタンプ

LINEのスタンプも作っていますよ!よかったら是非!お寿司が乗ってるやつが人気です!使いやすい言葉ですのでよかったらご購入してください〜!

LINEstamp

その3:ストックイラスト

ストックイラストを愛しています。だって一瞬で世界中に販売でき、夜中だって勝手に活動してくれる営業マンですからね。自分が好きだと思って描いた絵が購入された時は本当に嬉しいです。年賀状やアイコン素材、パリジェンヌシリーズなど人気ですので素材に困ったらご購入のご検討をよろしくお願いいたします!

PIXTA Adobe Stock Shutterstock potolibrary

こちらもお読みください・・・「ストックイラストを始めた理由

その4:トイレに飾る絵展

トイレに飾る絵展は、2013年より私が主宰している、1点物の絵画を鑑賞&展示販売するグループ展示です。毎年素晴らしい作家さんが約20人ほど貴重な原画を展示してくださいます。もう毎年楽しみにしてくださってる方もたくさん!会場はいつもお世話になっている、gallery晴れ–南青山–。

こちらもお読みください・・・「トイレに飾る絵展とは?」

その5:平泉展(公募展)

実はこれまであまり公募展に興味がなかった私ですが、私とチャキさんの歯医者さんからこの会のことを聞いたときに、とても興味が湧いたのです。それは代表の保坂先生の言葉「手づくりこそ命を元気にし未来を築きます」というコンセプト。そして、絵を描いて競うのではなくそれぞれを楽しむ心。こうしたことがとてもシックリきたので、出展することを決めました。

手作りっていいですよね。確かにパソコンや携帯は毎日触るかもしれないけれど、なんだか手作りとは違う。料理はいいと思う。編み物でもいいし、絵を描くこともいい。絵を描くことの気持ちのハードルを下げるためにiPadでの絵画教室をやっているのも、その辺に繋がっています。絵を描くと、無心になれて頭スッキリするからね。

こちらもお読みください・・・「第31回 平泉会 出展のお知らせ 初出展!」

改めまして、よろしくお願いします!

名前:あいかわけいこ
身長:162cm
性格:ぼんやり
趣味:毎日絵を描く、素敵なカフェ、映画を観る
好きな食べ物:生魚、野菜
好きな飲み物:ビール、炭酸水
好きな服:ツモリチサト、アニエス・ベーなど
最近気になること:筋トレ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です