子育ての方針〜2018年が終わっていく・・・

2018年が終わっていく・・・

 

もう11月か・・・。

毎年11月には私にとって一大イベントである「トイレに飾る絵」展があるので

バタバタとあっという間の1ヶ月になり、そのままガーッと12月まで走るという感じ。

 

2018年を振り返るには早いかもしれないけど

今年は色々は準備の年になりました。

ホームページを新しくしたり、ブログを閉じる準備をしたり、

チャキさんの小学校をどうするか、悩みを整理するためレポートを作成したり

実際に見学に行ったり。諸先輩がたに話を聞いてもらったり。

仕事面では、ストックイラストも始めました。

 

2018年。

外交、営業少なめの、インドアな1年であった感じですが

土台は作ったぞー!という満足感も多少あります。

 

年少さんが終わってから、チャキさんの小学校どうするか、

本当にずっと考えていて。

 

子育ての方針

 

それを考え始めると、小学校だけじゃなくて、

私の、我が家の、子育ての指針みたいなことを、ずっと考えていました。

それは多分、妊娠がわかった時から。

 

妊娠がわかってからというもの、

私は今までに感じたことのない「じわっ」とした嬉れしさと同時に

ずっと怯えていました。

 

ずっと怯えていました

 

何に怯えていたのかというと、

 

「親のような、親になってしまうのではないか」

 

という恐怖です。

 

いや、本当はそこは深く考えるまでもなく

同じ親の血を色濃く継いでいるのだから、なって当然だろうし

親が大好きな人にとっては、むしろ「なりたい」事なのかもしれないのだけれど。

 

実際に赤ちゃんが生まれてみると

今まで生きてきた中で、こんなに全力でまっすぐに

私という人間をを信用する生き物に会った事がなく

そういう意味でも「かわいい」と思うと同時に

ものすごい責任というか重圧も感じました。

 

この小さい命を全力で守ろう。

この小さい命を死なせないようにするにはどうしたらいいのか。

 

そんな思いで

0歳時代はとにかく必死でした。

楽しかったけれどね。今思うともっと楽しめたな。

命を見守っているという緊張感はありました。

 

そうしていく中で、こんなに可愛い子供に

なぜ母はあんなだったんだろう?

なぜ父はあんなだったのだろう?

という思いが吹き出してきてしまいました。

 

すると、かえって私の子育ての方針はすぐ決まったのです。

 

自分が親にされて嫌だった事はしない

 

これに尽きる。

 

日々の生活の中で、喜怒哀楽は当然ありますので

完璧にはできない。

私は短気だし、すぐ怒るし、コミュ障気味だし。

けど、指針があれば、俯瞰してみることも

反省して「あの時はごめん」って謝ることだってできる。

 

自分への戒めのためにここに綴ろう。

 

容姿をイジらない

 

とにかく私は、親に「かわいい」とか、そういう類のことを言われた記憶がない。

母には、

「あんたは、なに着せてもねえ・・・よく男の子に間違われてたわ。」

泣けば「ブサイク!」と言われ、

「でかい口で笑って下品!」

など、ひどいことをいうわりに、

(今頃やっとひどいことを言われてたんだなと気づいたw)

意味もなく、女なんだから、いつもニコニコしてろと

ともいう。混乱する。

 

父も、

「お前は遠目で見ると良さげに見えるけど、近づくとアレ(ブス)だな~!」とニヤニヤする。

一瞬、何を言われているのか理解できない。じわじわ理解してきてげんなりする。

ええと、あなた方も、お世辞にも美男美女ではないですよ?

鏡みたことないの?遺伝子って知ってますか。そっくりって言われますよ。

 

なんだ、ブサイクだなあ~(ほんとはそういうところもたまらなくかわいいけど!)

 

って気軽に言ってしまいそうだけど(うちの親だけ?)

 

(ほんとはそういうところもたまらなくかわいいけど!)って

いくら脳内で思っていても

どんなに心の中で「ほんとうはかわいい、愛おしい」と思っていても

声に出さなれば、子供には伝わらない。

感じとってもらおうなんて手抜きはしない、甘えない。

 

そういうことがあるので、私は本当に容姿に自信がない。

褒めてもらっても、本当じゃないと思ってしまう。

 

たま〜〜に、両親のように

いきなり「ブス!」と言ってくる人に遭遇しますが

そういう人とは、付き合わない。気に入られようとしない。

だってそう言ってる人はだいたい「鏡、見たことあります?」な風貌ですし

傷つけて攻撃することで、優位に立とうとしたいだけなのが見えてしまうから。

 

比べない

 

私は、とにかくのろまで、ぼんやりしていて、取り柄のない地味な子だった。

弟は、勉強もできて、利発だった。

私は「できない、できてない」で育てられ

弟は「天才!天才!」で育てられ。

自己肯定感の差がはっきり出たと思う。

そんな言われ方をしてきたら、後から「自信を持ちなさい」と言われても

かなり無理のあることだ。

 

チャキさんは一人っ子で、正直ほっとしている。

なぜなら比べてしまいそうな兄弟がいないから。

「○○君は、ほらできてるよ!」とか割とよく聞くではないですか。

日本のよくわからない習慣で、自分の子はディスって他人の子は持ち上げるみたいな。

ちょっと下げとく。ママ同士のパワーバランスを保つためかな?

ああいうのは・・・・、なくてもいいよね。

そして、比べる対象は、その子自身かもしれない。

「昨日はできてたのにね!」とか。

言いがちだよ。ああ、言ってるよね。気をつけます。

 

恥をかかせない

 

子供も、ちゃんとプライドを持っていると思う。

「子供だから」ってバカにしてはいけない。

子供だって失敗したりして「恥ずかしいな」と思うことはある。

「内緒にしておいて?」って言われたことは、守ろう。

恥をかかせるのを罰として、何かを上達させようとしない。

 

冷やかさない

 

大人は、もう色々知識や経験があって

「だいたいこうね」と思っていても

子供にとってはそれが大発見だったりするし

間違ってることもあるかもしれないけど

そうだったとしても冷やかさない。

 

決めつけない

 

一番辛い決めつけだったのは

母の「お前はB型だから○○」というやつ。

私は10歳くらいまで血液検査をしてなくて

それまで母は「お前は神経質だからA型」と私の血を決めつけていたのだけど

検査して見たらB型。

そこから母は私に対しての態度が、すごく変わった気がする。

B型は何を言っても傷つかない。

ひどいぐらい言ってやらないと伝わらない、みたいな感じに変わった。

悪いことがあると同じB型の父の血だという。

「○○だから△△」

なんて単純な、紋切り型なんだろう(笑)

そしてすごい偏見だ。

今は血液型の検査をしないので、チャキさんの血液型がわからなくてよかった〜と思う。

お父さんは知りたがってるけどね、型を知るだけのために検査はやらないのよ。

 

男だから、女だから、●●と言わない

 

決めつけない、ととても似ているけど。

男か女かに、二分された世界なんて単調すぎる。

ざっくり分けないで、ちゃんと目の前の子供を観察したい。

身近なトラップとしてお父さんが言いがちなので気をつけたい。

男は黙って○○ビール!とか言い出す、九州男児父さん。

 

突き放さない

 

つらいときに、私の尺度でそのくらい、つらくない!と突っぱねない。

話を聞いてみる

なにか質問されたら、

「そんなことも知らないのか!」と

突き放さないで、バカにしないで、

一緒に考えたりしたい。

だって子供はいつも真剣なのがわかるから。

 

動物を可愛がる

 

子供の頃は、猫が家にいました。

母の猫の飼い方が、どうしても受け入れられなくてね。

2匹いたんだけど、どちらもオスで

1匹は去勢して、もう1匹はしない、という謎。

どっちも平等に去勢しなよ、と言っても聞かない。

1匹は野性味溢れている方が似合っていて(?)、

もう1匹は「本当に血統証付きなのかしら?」という意味不明な回答。

命に血統証も何もない。

いつも1匹は季節が来るとサカリがついて、去勢していない方に襲いかかっていて

血まみれになっていて本当にかわいそうだった。。。猫、ごめん。。

この様子を見ていると、ああなんかいつもこうやって

母や区別というより、差別するものを作っていたい人なのだなあ、と思った。

動物の命はみんな同じ、と、子供と一緒に動物を可愛がりたい。

もし何か動物を家族として迎えるなら

ペットショプじゃなくて里親になりたい。

 

いつまでも根に持たない

 

これはこの間も書いたけど

うちの母の「学費を返せ」発言は

大学を卒業してから、20年も続いております・・・。

いい加減、病的にしつこい。

過去に生きているのだなあ・・・。

私は、自分のできることをやって、社会と関わって、今を生きていたいな。

 

選ばせる

 

自分で選ぶ喜び、を奪わない。

家族でちょっとイイレストランに行ったとき

みんなは自由にドリンクのメニューを選んでるのに

母は私にだけ、「あんたはこれにしなさい、ね?絶対美味しいから!」

と言って、選ぶ自由がない。

ただそれだけのこと、かもしれないけど

なんだかとても悲しかったなあ・・・。

そのドリンクは、どろっと甘くて、美味しいけど

その時の気分に全然マッチしていなくて、甘くて悲しい味。

チャキさんには何かを選ぶ時は意見を聞きたいし

それを尊重してあげたい。

 

自分の欠点を子供で解消しようとしない

 

とにかく、母にとっては、容姿も性格も、自分好みの子供ではなかったのだろう。

そして、子育てが、もっと言えば結婚が

自分の理想と程遠いものだったのだろう。

よくわからなかった幼い私は、それでもとにかく

私は母の理想に近づこうとしていた。

ヘトヘトだったね。

 

勉強しろというなら、自分が勉強する

 

親がだらだらしていて、いくら「勉強しろ!」と言ったって

説得力がない。

なぜ勉強するのか?

そんな問いを一緒に考えるのもいい。

勉強しろという代わりに、私が勉強しよう。

子供を通して社会と関わろうとしない

 

子供の用事だけで学校や近所と関わっていると

人の目が気になって仕方ないだろうし

子供が巣立った時に、空っぽになってしまいそう。

私は、私で、例えば「絵を描く」とか

自分のできることで、社会と関わっていきたい。

 

抱っこする

 

実は、私はボディータッチが苦手だ。

 

きっと、小さい頃は親や親戚に抱っこされたり

手を繋いで歩いたりしていたのだろうけど

つらいとき、誰かにぎゅーっと抱きしめてもらって安心したとか

人の体温で「ホッとしたなあ~」という記憶がないのだ。

 

チャキさんががまだ抱っこを必要とする時があるなら

なるべくしてあげよう。

現在17キロ。

すっごく重いけど。

 

きっとすぐ大きくなって、

もうそろそろ、自然とそんなこと言わなくなってしまうのだろうからね。

 

よし。

 

 

2019年、どんとこい!!!

来年は、もっと大きい絵も描きたいなあ〜という気持ち。

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